【開削から400年 米どころ庄内を支える北楯大堰】
今から400年前、広大な庄内平野は水利に恵まれず、作物が育たない原野でした。
慶長6年、最上義光の家臣 北館大学助利長公は、狩川城主として困窮する人々を救おうと、月山を水源とする立谷沢川からの導水を計画。
慶長17年3月に着工し、難工事の末、7月までに延長10㎞を超える北楯大堰が完成しました。
その後、3年かけて整備し、総延長は32㎞におよび狩川から余目、酒田の5,000haあまりの水田を潤し、米どころ庄内平野の基礎となりました。
以降、国営事業等により修繕されてきましたが、一部は石積み水路の姿を残しています。
現地を巡り、その歴史に思いを馳せてみませんか。
#庄総農村計画課