【花車 大八の伝説】
- 2018/11/19
- 観光最上地方
【花車 大八の伝説】
花車 大八という新庄の俠客が京都の祗園囃子を習い覚えてきて伝えたのが新庄まつり囃子の始まりという話があります。
この花車 大八には大蔵村肘折におもしろい伝説が残っています。
二代目藩主・戸沢正誠公が、秋田の佐竹公とそれぞれの抱え力士を対戦させる「御前相撲」をすることになった。
秋田の大館という力士は怪力無双の力士で、新庄の抱え力士をことごとく打負してしまった。
正誠公は、業を煮やして草相撲から強い力士を探させた。
肘折のもみじ紅葉山は小兵力士であったが大館に必死に立ち向かい、もとどりに喰いつく“鷲の喰い投げ”というとっさの技で起死回生の勝利を収めた。
大喜びの正誠公は紅葉山を抱え力士として召し抱え、『花車』というしこ名を与えた。
そして、新庄に移り住んだ花車の名声は以来方々に鳴り響き、その子孫は花車という名字を名乗るようになった。
という囃子とは全く関係がないかも知れない伝説ですが、花車 大八という人物の存在感を強める話としてメモ興味深い話です。