ほていや商店です。
- 2018/5/9
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ほていや商店です。
今日も歌人 河東碧悟桐の紀行文「三千里」肘折逗留記を紹介していこうと思います。
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九月二十九日。晴。
これも半里ばかり離れた肘折金山を見に行った。金を掘っておるうちに、銅鉱が出て今では銅山になりそうじゃという。
金鉱は旧藩時代、新庄の藩主が掘っておいたのを買うたので、その鉱石を精錬しても今後なお七、八年かかるそうじゃ。
昔の鉱山採掘の悠長さがわかる、事務員が笑う。
しかし、今でも三十五馬力の原動力で、旧式な機械で精錬をしておるのである。
ここにも温泉が三つばかり湧く。
ささやかな 銅山あるや 栗拾ひ
(羽前肘折温泉にて)
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河東碧悟桐 三千里より抜粋
昨日もちょっと触れましたが、
大蔵鉱山は、藩政時代に新庄藩が採掘を始めたものの、その途半で採掘を止め、そのまま長期間放棄されていました。
その間、私掘乱掘が横行し、明治の半ばまでは肘折ゴールドドリームを夢見て幾人かが採掘を試みたといいます。
明治36年(38?)に本格的な許可を得て、金鉱採掘が開始されたのが明治38年というので、
河東碧悟桐がここを訪れたのは、まさしく稼働して間もない時期というわけです。
さて、明日で三千里の最後の投稿となります。