新庄まつりの始め 3
- 2018/11/25
- 観光最上地方
新庄まつりの始め 3
城下の各町内が繰り出す屋台の内容が具体的に知られるのは安永5年(1776)の記録が初見のようです。
これによればこの年
万場町「神功皇后」
金沢町「田原藤太」
馬喰町「子持山姥」
吉川町「紅葉狩」
清水川町「西王母三人、漢の武帝へ桃を献ずる」
鍛冶町茶屋町「風流孔明二人」
北本町「花見西行」
他に個人で、遅沢庄右衛門が個人で「菅原実生梅」など10台の飾り屋台、また南本町の「はやし笠鉾」など囃子屋台が4台出た事が知られていますが、それが「担ぎ屋台」か「車屋台」であるかは明らかではありません。
飾り屋台にせよ囃子屋台にせよ、それぞれの詳細は明らかではありませんが、天満宮祭礼の屋台行列は囃子屋台を除いて基本的には既にこの時代から現在とほぼ同じ形をとっていた事が明らかであることが伺い知れます。
この祭の行列全体の姿は、先頭に町同心が二流の大旗(のぼり旗のようなもの)をひるがえし、次に大太鼓ふたつ、この後に城下の町内町が出した飾り屋台・囃子屋台の行列が続き、次に騎馬の侍や使役に護られた神輿の行列が続いている事が知られます。
神輿行列には史料によると、騎馬の侍のほか「手習子供24人・奴子・黒筆・槍・鋏箱ふたつ・つづら馬一通り」とあるようです。
また「手習子供」が供奉するのは、祭神が学問の神、菅原道真である事に関係する事かと思われます。