お囃子の始まり

お囃子の始まり

市史によると、大正10年は旧藩主戸沢氏の新庄入部300年にあたり、祭は盛大に行われこの年は11台の山車が出ましたがこのいずれもが歌舞伎などの名場面を写したもので囃子屋台はひとつもないようです。

同11年の祭にも11台の飾り屋台が出ましたが、同じく囃子屋台はひとつもないようです。

以後、昭和→平成を通じ囃子屋台はひとつも出されていないようです。

この事から考えると、囃子の無い飾り屋台のみの巡行はおよそ考え難いので、この時代の頃から囃子は現在の様な、各屋台の後ろにつく徒歩の囃子では無かったかと思われます。

つまり現在の囃子は、明治時代の末か大正時代の初めに形作られたと考えられます。

これを証する確実な記録は、なかなか見つかりませんが、雑誌『葛麓』第48号の記事に1資料と思われるものがあります。

『連年の豊作で屋台も毎年出る。今年は今まで無かった金沢・鉄砲町からも新規に出すと聞く。「近在のアンコ(新庄市街地周辺部の兄達・つまり囃子若連の事)」等はだいぶ前から囃屋台の稽古に取り懸かって毎晩遅くまで笛や太鼓の音が聞こえる』

この記事を読む限りでは在方の若連が、旧城下町内の作る屋台に付き囃子方を担当している事を語っていると見て良い様に思われます。

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