昭和の頃の新庄まつり・2
- 2018/11/28
- 観光最上地方
昭和の頃の新庄まつり・2
祭りの形は昭和11年を最後に根本的に変わってきました。
翌12年、国の戦時体制の強化により、屋台行列・神輿渡御行列ともに中止されました。
同12年、日華事変勃発。
新庄市内各町内では、今年の祭りは盛大に行う計画をし準備を進めていたのですが、時局柄、一切を取りやめ平祭りとしました。
但し、昭和15年は戦時中でありましたが、皇紀2600年に当たるというので盛大な祭りにしようとの計画で、神輿渡御行列の法被などを新調し、市内を巡行しましたが、屋台の巡行は時局柄遠慮すべしとの役場の達しにより中止されました。
翌16年も平祭りというので、屋台行列・神輿渡御行列ともに行われませんでした。
しかし街は例年のごとく露店が立ち並び、最上公園では「角力(すもう)大会」が開かれ、在方から人手で大賑わいしていたようです。
『皇紀』とは…。日本書紀の記述により、神武天皇即位の年(西暦紀元前660年にあたる)を元年とする紀元。現在一般には用いられない。
今年(西暦2009年)は、神武天皇即位紀元(皇紀)2669年。