「ありがどさま、ありがどさま〜」

「ありがどさま、ありがどさま〜」
(ありがとう)

婆ちゃんの口癖。
ボケて、会話もまともに出来なくなった状態でも

「ありがどさま、ありがどさま」

とだけは私たちに言ってきていた。

どんな小さなことでも
大げさなくらい、喜び、感謝して
「ありがどさま」
と言う。

常に感謝の気持ちを忘れない。

爺ちゃんが亡くなる直後、
婆ちゃんからは、本当の夫婦の在り方を
みせてもらった。
祖父は末期癌で全身が痛み、思うように動けない状態。
そんななか、ばあちゃんの意気込みは半端がないほどパワフルだった。
当時、自分だって高齢者で自由に身体も動かないなか、一生懸命介護をしていた。
じいちゃんが、ばあちゃんに暴言をはいても、祖父の状況、立場を考えて

「そうなるのは当たり前だ」

と理解してあげられているところ。

「じいちゃんは、父などにはやはり、遠慮するところもあるが、自分には気兼ねなく楽にできるからこそ、自分が出来る限りは全てやってあげんだぁ〜!(オムツ替えなど)」

と私にそう言っていた。

そこまで理解でき、じいちゃんを一番に考えてあげているところがすごい。
その時、本当の夫婦の姿を見せられた気がした。

じいちゃんとばあちゃんは
素晴らしい夫婦だな☆
と、同時に婆ちゃんをすごく尊敬した。

そしてじいちゃんが亡くなった時、ばあちゃんの腰曲がりが更に丸まって小さくなって悲しんでいる姿が、いたたまれなかった。
このまま悲しみで婆ちゃんも死んじゃうんじゃないかと思い、ばあちゃんと同じ部屋で一緒に寝たっけなぁ〜。
食欲も落ちて、食べなくなったら、、、とも心配しましたが、
食べることだけは
ムシャムシャ…
よく食べてた。笑
お供えする団子を作っていた時も隣にきて
「らん!ばあちゃんさ、その団子1つけろ」
と言って、

「うめぇ〜なぁ〜」

と、それもムシャムシャ食べる。笑

婆ちゃんは本当にどんな時でも食べる事が大好きな人でした。

「じいちゃんみたいに いくらこうやってお供えして貰っても、死んだら何にも食べられなくなるんだ。
だがら、ばあちゃんみだいに生ぎで、
こうやって、らんたちから美味しいもの
かせらいで、婆ちゃんは、幸せ者だ!」

と、若干、突拍子ない名言を
鈴木家に残した。笑

で、ばあちゃん、やっぱり
仏になると、お供えものは食べれてない?
ちょっとその名言は本当だったか、報告しに来てもらってもいいですかー?笑

食べるだけじゃなく、
私が子供の頃、風邪をひくとすぐ
卵酒を作ってくれた。
卵たっぷりで甘〜い卵酒。

その時のおかげで卵酒が大好きになりました。

どんな高級レストランの美味しい食べ物よりも
私にとったら、ばあちゃんが私の為にと作ってくれた卵酒の方が、贅沢で価値があり、最高のものです。

「誰かとの思い出の食べ物、
誰からか自分の為にと真心込めて作ってもらったもの」

それこそが、人にとって最高に至福な食べ物なんじゃないかな〜と思う。

私の食に対する核は、やはりそこ。
そこを大事にしなきゃ、作る意味、資格がありません。だからこそ「食」の魅力を感じ興味を持ったのです。

ばあちゃんには食の大切をたくさん教わりました。

ばあちゃんの卵酒。これからは私が引き継いでいかなくては。

自分の力で頑張るひと

腰が曲がっても、身の回りの掃除、洗濯など出来る限り、自分でやりたい!という人だった。
足の痛みで、思うように立てなくなってきた時も、手を貸そうとすると、

「婆ちゃん、歩けなくなってしまったら、ボケるから、なるべく自分の力で立って歩きたいんだ。
時間かかるけど、ひとりで立ってみるから、見ででけろ」

と言い、私の力を借りず頑張って立とうとする姿勢に感動した。

人になるべく迷惑を掛けないで
自分でする!
が、ばあちゃんのポリシーでもあっただろう。

今年の5月、くさフェス開催日の約1週間前に心肺停止し、危篤状態になった。が、しかし、奇跡的回復力で、ばあちゃんは持ち堪えてくれ、
くさフェスを開催させてくれたし、
先月のベルギーの旅にも行かせてくれた。
なんだか私の都合を分かってて、頑張って生き延びてくれた気がして仕方ない。

ばあちゃんが亡くなって家に帰ってきた時、
パンパンになった足、
点滴で紫になった手、
太かった腕が、ガリガリになってて。。。
でも顔はいつもの婆ちゃんで、肌が相変わらず白くきれいで。。
その姿みて、最後まで頑張って
パワフルに生ききってくれたんだな、立派だな。
お疲れさま、ありがとう。って胸が熱くなりました。

約4年前、いつも通り二人でおしゃべりをしていると突然、

「ばあちゃんが死んだら、飾る慰霊写真ないがら、今、らん撮ってけろ!」

と、何度も駄々をこねられ、
それで気が済むならと撮ってあげたのですが、それが私のお気に入りの写真となりました。

そしてばあちゃんとの約束どおり、慰霊写真はこの写真にしました。
ばあちゃん、満足してくれだー?

常に感謝の気持ちを忘れず、
たくさんの幸せを感じ、
大切な人のことを想い、
食を大切にし、
最後までパワフルに生きること。

婆ちゃんの姿を見て教わったこと。

時よりばあちゃんを思い出し、
すごく切なくなり、胸が苦しくなったりするけど、私には、ばあちゃんのDNAが流れているのだから、最大限発揮しなくっちゃっ!!

そんな
鈴木 さと子 の生涯を少しだけお話させていただきました。

くさかんむりcafe
すずき らん

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